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KENTAのプロレスは現在のG1にはウケない?高山善廣と中邑真輔からみる今後の可能性は?【新日本プロレス】

KENTAのプロレスは現在のG1にはウケない?高山善廣と中邑真輔からみる今後の可能性は?

https://www.njpw.co.jp/wp-content/uploads/2019/06/01-61.jpg

(引用:新日本プロレスオフィシャルサイト)

 

遅ればせながらG1クライマックス初戦を拝見しました。

のうぷろ的にはやはり、昨年準優勝した飯伏幸太選手が、

昨年以上の成績を出したいと発言したので、

今年こそ真夏の頂点に君臨してほしいです!

 

が!

 

初戦でいきなり、ダークホース・KENTA選手との一戦。

飯伏幸太選手も、打撃を多用するタイプですが、
KENTA選手はバチバチのストライカータイプ。

この2人がどう試合を展開するのか?

非常に楽しみでした。

 

で、こっから長いんで、先にまとめ書いときます。

・KENTA選手と飯伏幸太選手の試合はいい試合だったが、
新日本プロレスファンの評価はかなり低い

・KENTA選手のキックを多用するスタイルは、
今の新日本プロレスファンにはウケないというか嫌がられる。

・でも、これって中邑真輔選手もそうだったよね?
じゃあ、KENTA選手には可能性しかないじゃん!

オカダ・カズチカと丸藤正道を彷彿とさせるカード

その前に、このカードで思い起こさせる過去のG1初戦があります。

それは、2016年のオカダ・カズチカ選手VS丸藤正道選手戦です。

KENTA選手は元NOAH所属。
丸藤正道選手とは、NOAH立ち上げ当初から、新時代を担う存在として、
同時に語られる存在でした。

丸藤正道選手は初戦で時のIWGPヘビー級王者・オカダ・カズチカ選手から
ポールシフト式のエメラルドフロウジョンで3カウント!

三沢光晴さんの魂を込めた、渾身の一撃で白星を奪った丸藤正道選手。

試合後に発した「優勝より価値がある一勝」という言葉どおり、
この試合は、2016年のプロレス大賞ベストバウトに選ばれました。

 

この記憶が蘇ってしまうのはボクだけじゃないはず。

箱舟から世界へ飛び出した若者は、
結果として、名を上げることが出来なかった。

しかし、友の声で日本のリングに再び降り立ち、
最初の相手は、新日本プロレス所属になり初めてのG1となる
飯伏幸太選手。

ベストバウト級の試合をみせてくれるのでしょうか?

 

KENTAと飯伏幸太の最高の打ち合い

ボクは今回、この試合を、移動中に見たので、
音声をオフにしてみていました。

激しい打撃の応酬。
やはり、ペースを持って行かせないKENTA選手に付き合う形で
打撃が多めの試合になりましたが、
飯伏幸太選手の打撃センスも素晴らしく、
そして特筆すべきは、KENTA選手の
「エゲつない攻め」をガードしながら受け切ったことですよね。

終盤のダイビングフットスタンプなんかも、
飯伏幸太選手の鍛え上げられた腹筋でないと、
内臓にダメージが及んでしまうし、
キチンと、体を「くの字」に曲げてガードをしていたのが流石です。

そりゃ、内藤哲也選手にあれだけの「人でなし」なプロレスを仕掛けるくらいですから、「人でなし」な技や「エゲつない」攻撃の防御法はお手の物でしょう。

 

ラストはやはり、フェイバリットである「GO 2 SLEEP」で3カウント。

飯伏幸太選手推しとしては、初戦を落としたのは悔しかったですが、
KENTA選手とのバチバチの打撃戦が見られて、
ファンとしてはよかったかな、と思います。

 

大不評の一戦?

なんて、呑気なことを思っていると、
どうやら、この一戦に批判的な思いを持たれている方が多いようです。

KENTA選手の打撃ばかりの展開に、少々苛立ちを、
というか、いいかげんにしろ!と言わんばかりの声が多数あるようです。

あれー、のうぷろ的見解はおかしいのかなー、なんて思ったのですが、
思い出しました。

ボクもありました。昔。NOAHの頃。

三沢光晴プロレスを楽しみにしていた高校生の頃、
蹴ってばっかりで、相手のペースを乱すKENTA選手が大嫌いでした。

「蹴ってばっかりで卑怯だ!」

とか、理不尽なことばかり思っていました。

いいんですよ。蹴って。別に。試合なんだから。

でも、さ、KENTA、さ、わかんじゃん?

 

ってのがプロレスファンの心理ですよね。

分かります。高校生の頃、まったく同じ思いをしました。

 

でも、大人になったのうぷろ的には思うんです。

大人になって、総合格闘技もK-1もなんでも大好きになった
のうぷろ的に思うんですよね。

 

昔はよかった、っていうレトロオンリーのファンも、
今の新日本プロレスのファンも、

どっちも同じくらい超封建的だな、と。

 

プロレスはこうだ!とか、新日本プロレスなんだから!
とか言う考えが、一番新日本プロレスをダメにすんじゃないの?

 

 

のうぷろ的KENTA史

KENTA選手は、三沢光晴さんら全日本プロレスの選手が大量離脱する前に
「小林健太」という本名でデビューしました。

その名前が四天王の一角である小橋建太さんと一文字違いという事もあり、
ファンの間では、期待の若手(いじりも含めて)として認知されていました。

小橋建太さんの付き人をしながら、試合に出る中、
体格的にジュニアヘビー級なこともあり、飛び技主体のスタイルをレスリングをしていいきますが、同じスタイルには、先にデビューしていた丸藤正道選手がおり、

到底、追いつけない存在が上にいることで悩み始めます。

更に、すぐ下の鈴木鼓太郎選手が、
それに次ぐハウフライヤースタイルを確立していく中で、
KENTA選手は悩んだ末、
師である小橋建太さんのようなパワーファイトに
キックボクシングスタイルを融合させた
試合を展開していきました。

 

そして、最もKENTA選手に影響を与えた人物は恐らく、

帝王・高山善廣選手だと思います。

 

高山善廣とプロレス暗黒期

三沢光晴さん、小橋建太さん、田上明さん、秋山準選手らが
3枚看板として旗揚げしたプロレスリング・NOAH。

丸藤正道選手や、力皇猛さん、杉浦貴選手など、
若手も育ってきて順風満帆だったNOAH。

そして、時を同じくして、
新日本プロレスからも、
武藤敬司選手、小島聡選手、ケンドー・カシン選手
そして、新日本プロレスの主要スタッフが
こぞって離脱。全日本プロレスへと移籍しました。

新日本プロレスはその後、格闘技路線を突き進み、
その象徴として、IWGPヘビー級王者・永田裕志選手。
そして、若手では、デビュー1年目の中邑真輔選手がプッシュされていました。

これが、大いに反発を喰らい、新日本プロレスは大低迷期を迎えます。

その新日本プロレスファンが「プロレス」を見たいために
流れ着いたのは、武藤敬司選手がいる全日本プロレスと、
三沢光晴さんがいるNOAHでした。

 

よく、2006年頃から始まる新日本プロレスの低迷期を
「プロレス暗黒時代」という方がいますが、それは新日本プロレスだけの話しで、
NOAHや全日本プロレスZERO-1などは絶好調でした。

(三沢光晴さんと橋本真也さんの死去以降の事をさせばプロレス暗黒期で間違いないのでしょうが)

 

 

そんな絶好調のNOAHで台頭してきたのが、
帝王・高山善廣選手です。

GHCヘビー級、GHCタッグを獲得し、
後に新日本プロレスに参戦した時は、
IWGPヘビー級、鈴木みのる選手とのIWGPタッグ、
更に全日本プロレスへ参戦したときには、
三冠ヘビー、世界タッグと、

シングル、タッグの両方のメジャータイトル全制覇、
グランドスラムを達成した唯一の選手です。

 

高山善廣選手のデビューは、UWFインターナショナル。

第二次UWF時代に、宮戸優光氏から誘われて、
プロレス入りを果たそうとしましたが、
UWFが解体。
リングス、Uインター、藤原組(更にパンクラス)

と分派してしまったところ、
高山善廣選手は、Uインターへ入団することとなりました。

キック&サブミッション&スープレックスが主体のUスタイル。

このスタイルのまま、全日本プロレスへ参戦し、プロレスを覚えながらも、
自分のスタイルとうまく融合させた高山善廣選手は、
後に「プロレス界の帝王」と呼ばれるに至りました。

 

KENTAが高山善廣戦で見出したもの

KENTA選手、この高山善廣選手に対して、
バチバチの試合を展開していきました。

高山善廣選手が、重いキック、内臓が吹き飛ばんばかりのニーリフト、
そして、ゲーリー・オブライトが亡くなった時に、
「ジャーマンスープレックスを受け継ぐのはオレだ」と発言した通り、
世界最高峰の山脈の頂点であるエベレストの名を冠した、
文句なく、プロレス界最高のフィニッシュホールドである
「エベレスト・ジャーマン」を、
毎回毎回その小さな体で受け続けたKENTA選手。

 

その中で見出したのは、きっと
「絶対的な強さを覆すための強さ」

これでもかと蹴り続けるそのスタイルこそが、
KENTA[選手が追求し、手に入れた強さそのものなのでしょう。

 

体格はジュニアヘビー級。
しかし、当時のKENTA選手と丸藤正道選手は、
ジュニアながら、ヘビー級にガンガン当たっていき、
喰っていって、その存在感を示し、
そして、トップに立ちました。

その結果、NOAH最大の大会である武道館大会のメインで
ジュニア同士ながら、
GHCヘビー級選手権試合を行うに至りました。

KENTA選手が歩んできた道、
その先にあったものは、誰が見ようと、

NOAHの未来、プロレスの未来でした。

その後、NOAHから離脱。
WWEに入団し、傘下のNXTに出場するも、早々に怪我をし、
アメリカでの成績は、芳しくないどころか、
全く無意味な時間を過ごすに至りました。

そして、長い沈黙を破って、新日本プロレスG1クライマックス参戦。

この長い長いKENTA史は、大団円を迎えるのでしょうか?

 

まとめと”中邑真輔もそうだぞ?論”

ここまできて、今回の飯伏幸太選手戦を振り返ると、
いや、ホントに、のうぷろはKENTAのスタイルが好きなだけで、
今の新日本プロレスファンには合わないんだろうな、と思いました。

プロレスファンって言うのは、いつの時代も固く封建的です。

「THEプロレス」をしない選手には辛らつな言葉を投げかけるでしょう。

しかしながら、それはその選手にも言える事なんですよね。

中邑真輔選手にも。

もう、長くなるから、中邑真輔選手には言及しませんが、
アマチュアレスリング上がりで、新日本プロレス入団。
アントニオ猪木の命で総合格闘技のリングにあがり、
ヤン・ザ・ジャイアント・ノルキヤを倒し、結果を出した。
しかし、プロレスのリングでは、誰も評価しなかった。

そんな中邑真輔選手がプロレスのリングで成果を上げられたのは、
KENTA選手と同じく、高山善廣選手という大きな壁があったからです。

もう、ボコボコに、もう、見てらんないくらいぼボコボコにされて。

 

そんな、高山善廣選手から膝でボコボコにされた経験が生み出したのが、

ご存じ、ボマイェ(キンシャサ)なんですよね。

自分が一番喰らって痛かった技を必殺技にしたっていうらしいですね。

 

もう、まとまりがなくなってきましたが、改めて冒頭のまとめを。

・KENTA選手と飯伏幸太選手の試合はいい試合だったが、
新日本プロレスファンの評価はかなり低い

・KENTA選手のキックを多用するスタイルは、今の新日本プロレスファンにはウケないというか嫌がられる。

・でも、これって中邑真輔選手もそうだったよね?じゃあ、KENTA選手には可能性しかないじゃん!

 


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