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飯伏幸太の申し子遠藤哲哉って知ってる?知らない?知ったほうがいいよ!

DDTの若手の記事を連投です。

 

 

竹下幸之介と並ぶDDTの次世代を担う選手。

 

遠藤哲哉。

 

竹下幸之介より更に知らない人が多そうですが、よかったらこれを読んで

YouTubeとかで見てみてください。

 


引用先:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71oqq4XPwaL._SY450_.jpg

 

遠藤哲哉と竹下幸之介

2012年にデビューした遠藤哲哉と竹下幸之介。

新日本プロレスで2012年にデビューした選手といえば、

トーア・ヘナーレデビット・フィンレー

そしてウィル・オスプレイら、

外国人勢が多い世代です。

 

DDTにも新日本プロレスのヤングライオン

のような位置づけである、

「DNA」というブランドがありました。

今は、DDTのレギュラーに昇格した選手が多くなり、差別化する意図がないとして、

DNA自体の活動は終焉しましたが、

新日本の「ライオンズゲート」のような

若手主体の大会も開催されるなど、

精力的に若手育成を行ってきました。

 

その中で頭角を現したのは、

竹下幸之介と遠藤哲哉です。

 

竹下幸之介は、内藤哲也のように、昔からのプロレスファン。

大阪出身で、幼少期から大阪プロレスが主催しているプロレス教室に通い、

小規模ながら、子どもの頃からプロレスのなんたるかを体に染み込ませていきました。

そのプロレスセンスはデビューから目を見張るものがあり、

187cmの長身から繰り出される技と体躯からは考えられないスピード。

そして、必殺のジャーマンスープレックスは

まさに新しい時代の象徴となる威力と美しさを兼ね備えています。

 

一方の遠藤哲哉は、「飯伏幸太の直撃世代」というニックネームのそのままに、

飯伏幸太にインスパイアされた技を得意としています。

フィニッシャーのスカイツイスタープレスは、先ほど新日本プロレス同世代であげた、

ウィル・オスプレイ選手と比類しても引けを

とらない美しさ。

更に、アルゼンチンバックブリーカーの体制

から叩きつける

トーチャーラックボムはまさに飯伏幸太の

「ひとでなし」感を継承する技です。

 

リスペクトを含めて、遠藤を簡潔に言うと、

飯伏幸太の

絶対的なフォロワー。

 

同世代の葛藤と団体の成長

DNAの戦いから先に飛び出したのは竹下幸之助の方でした。

竹下幸之介の勢いは凄まじいもので、

時の王者であったHARASHIMAと

好勝負を展開するほどになっていました。

 

これに焦りを感じた遠藤哲哉は、

これまでのベビーフェイスイメージを

一新するように、カリスマ・佐々木大輔率いる「ダムネーション」に加入。

「怖くエグい遠藤」を開拓し、

トップ戦線に躍り出てきました。

 

竹下幸之介と遠藤哲哉という、

若く強い2人を有したDDTは、

新日本プロレスとはまた違う魅力を持って、

国内プロレス界第2位に君臨しました。

 

両国国技館大会での遠藤哲哉と竹下幸之介

DDTが2009年から毎年恒例にしている、

両国国技館大会。

 

DDTは、後楽園ホールは常に満員にできても、アリーナ級を埋めることはできないと言われ続けてきました。

それは、コアでマニアックな内容が多く、

アリーナ規模を埋めるためには、

新日本プロレスのようなスポーツライクな試合が無いと、最前列は埋まっても、スタンド席

までは埋まらないと考えられてきたからです。

 

そこで用意したのが、DDT最高峰の試合。

 

KO-D無差別級選手権試合

王者・HARASHIMA選手VS挑戦者・飯伏幸太選手

 

熱狂と感動はもちろん、DDTを評価する言葉で最もふさわしい「多幸感」

笑いと不謹慎と感動を全てのみ込んだ空間に

滞在する選手も観客も、

DDTがここまでやった!という多幸感に、

包まれた記憶があります。

 

この興行は「レスリング・オブザーバー」において、ベストプロモーター部門で第2位を記録し、 これ以降、両国国技館大会は、毎年恒例となり、新日本プロレスの棚橋弘至選手や

オカダカズチカ選手らも出場するほどの、

ビッグマッチへと成長していきました。

 

そして、初開催から8年後の2017年。

2009年には観客として飯伏幸太とHARASHIMAの試合をみていたであろう、

「DDTの宝」であるこの2人は、両国のメインで対角線上に立ちました。

 

2012年のピーターパン

2012年にデビューした同士。

遠藤は後楽園ホール大会で、先輩とのタッグマッチでデビュー。

その年は恒例の両国大会が日本武道館へ場所を移し、そこへの出場をなんとか手に入れた

遠藤哲哉。

 

しかし、その大会で華々しくデビューした

驚異の新人が、竹下幸之介でした。

 

そんな関係性の2人。

忸怩たる思いでスーパールーキーの

活躍を見ていた遠藤。

そんな遠藤の思いを感じながら、

上に上がり続けた竹下。

 

その気持ちが、両国でぶつかりました。

30分弱の激しい攻防の結果、

竹下幸之介のクロスアーム式ジャーマンスープレックスで勝負がつきました。

 

2人の物語は続いていきます。

 

ケニーと飯伏の二の舞にさせない意志

夏の両国国技館大会名は

「両国ピーターパン」。

大人になりたくない子どもたち。

大人の責任感を持たずに自由でありたいレスラーたちの思いをプロレスのリングに投影したかのような大会。

 

まさに飯伏幸太がいた団体だという事がわかります。

 

竹下幸之介の両国でのデビューは、

もしかしたら

もうピーターパンじゃいられなくなったオトナたちに、しっかりとプロレスと向き合わせる

きっかけだったのかもしれません。

 

団体最高峰の大会で、大型新人をデビューさせるなんて、新日本などのメジャー団体のやり方。

それをDDTがやることで、ピーターパンたちは「責任感」を覚えた。

キチンと決断と判定をすることの重要性を覚えた。

 

その数年後に恒例となった、冬の両国国技館大会の名前は

「JUDGEMENT」

 

竹下幸之介と遠藤哲哉を、

ケニー・オメガと飯伏幸太の

二の舞にさせない意思が

DDTから感じてきます。

 

 

たまには新日本プロレス以外の選手をじっくり見るのも楽しいですね!

 


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